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安定成長からバブル経済


1973年の第一次石油危機により、戦後の高度成長は終了した。

その後、日本経済は実質成長率が4〜5%の
安定成長(低成長)期に入った。


好況の終わった原因としては様々なことが上げられる。

高度成長期におこった公害や環境破壊が深刻化したことにより、公害規制が強化されて企業の負担が大きくなった。

1971年8月の
ニクソン=ショックにより、1ドル=360円の固定為替レートが崩れ、1973年に変動相場制に移行したことにより、急激な円高が進み、輸出主導となっていた日本経済に大打撃を与えた。

1973年の第四次中東戦争の際には
石油輸出国機構OPEC,1960)が原油価格を4倍に引き上げたため、世界各国で強烈なインフレが起こった。

通常、不況時にはデフレになるが、不況とインフレが同時におこる
スタグフレーションが起こった。


このスタグフレーションに対して、政府は
総需要抑制政策(公定歩合の引き上げ)、財政支出抑制、公共事業削減などをおこなったが、その結果、ますます景気が落ち込んで、1974年には初のマイナス成長を記録した。しかしインフレは沈静化した。

不況対策としては1975年から
赤字国債を大量発行して、積極的財政政策を行った。民間企業は、収益低下に対して、ヒト・モノ・カネの削減を行う減量経営で対応した。

また、
ME革命(マイクロエレクトロニクス革命)が進展し、オフィスの自動化・機械化(OA化:オフィス=オートメーション)、工場の自動化・機械化(FA化:ファクトリー=オートメーション)が確立された。


この時期には産業構造も大きく転換された。高度成長をリードした鉄鋼・セメント・石油化学といった資源多消費型の素材産業などの
重厚長大型産業に代わって、電子機器・半導体などの省資源型で軽薄短小な知識集約型産業や、自動車などの加工組立産業へとシフトしていった。
産業構造の高度化

労働集約型産業 重厚長大型産業
(資本集約型産業)
軽薄短小型産業
(知識集約型産業)
軽工業 重化学工業 加工組立型産業


国内需要が落ち込んだため、需要を海外に求めてダメージから立ち直っていない欧米諸国に集中豪雨的輸出をおこなった結果、欧米諸国との間で貿易摩擦が発生した。特にアメリカは深刻な失業に苦しめられている時期であったため、猛烈な反発がおこり、1985年、ニューヨークのプラザホテルで、先進五カ国財務相・中央銀行総裁会議(G5)が開かれて、為替相場を円高へと誘導するドル売りの協調介入を行うことで合意した(プラザ合意


プラザ合意により、急激な円高・ドル安が進行し、円高が輸出主導型の日本企業を直撃して円高不況(1986)に陥ったが、日銀は金融緩和政策に踏み切り、公定歩合を引き下げて超低金利政策をおこなった。
円高は原材料のコスト安になるため、企業の余剰資金が、株式や土地投機へとむかって、内需主導型の
バブル経済(1986〜1991)が発生した。


バブル経済では、銀行や企業の余剰資金が土地や株に投資されることにより値上がりし、地主や株所有者にとっては資産価値が跳ね上がる(資産インフレ)資産インフレが起こると、所得は変わらないのに消費ができるようになり、さらに企業の売上は伸びて賃金も上がる。その結果ますます消費が伸びるという構造である。


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