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人権の国際化 |
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第二次世界大戦(1939〜45)が終わると、人権を世界的に保障しようとする動きが活発になった。ナチスによるユダヤ人虐殺などの人権侵害を放置することは許されないと、考えられるようになったためである。
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世界人権宣言(1948)
自由権、参政権のみならず社会権までを盛り込み、「達成すべき共通の基準」と位置づけられた。しかし、国際法上の拘束力がないという欠点があった。 |
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国際人権規約(1966採択、1976年発効)
3つの文書からなり、国連の全加盟国を拘束する。
@社会権規約(A規約)
A自由権規約(B規約)
BB規約の選択議定書 がある。
B規約の選択議定書を批准すると、権利を侵害された個人は、国連の規約人権委員会に救済の申立てをおこなうことができる(個人通報制度)
日本は、労働者への休日報酬の保障、公務員のストライキ権、中・等学校の無償化を留保してA規約を批准し、B規約についても批准したが、B規約の選択議定書については批准していない。
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文書 |
内容 |
日本の批准 |
A規約 |
おもに社会権 |
留保批准 |
B規約 |
おもに自由権 |
批准 |
B規約の選択議定書 |
人権委員会への個人通報制度 |
× |
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国連は1989年に、B規約の第二選択議定書(死刑廃止条約)を採択したが、日本は批准していない。
*アムネスティ=インターナショナル
1961年設立。国際的な人権擁護運動をおこなっているNGO(非政府組織)。政治犯や思想犯などの「良心の囚人」の釈放と、「死刑廃止」を運動目的としている。 |
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個別の人権条約 |
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難民条約(1951)
対象は、人種、宗教、民族、政治的理由により迫害され自国の保護を受けられない者に限られているので、「経済難民」「環境難民」は保護されない。
国外追放や強制送還は禁止されており、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が担当している。日本は1981年に批准したが、出入国管理及び難民認定法を制定して難民認定の基準が厳しく、難民の受け入れには消極的である。 |
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人種差別撤廃条約(1965)
人種・皮膚の色などによるあらゆる差別の撤廃を目指す。もとはアパルトヘイト(人種隔離政策)への国際的包囲網をつくる流れの中でつくられた。日本は1995年に批准し、アイヌ文化振興法の制定につながった。 |
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女性差別撤廃条約(1979)
女性差別撤廃と社会参加、性別役割分業の見直しを求める。日本は男女雇用機会均等法(1985)制定、国籍法の改正(1984)によって批准の条件が達成されて、1985年に批准した。 |
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子どもの権利条約(1989)
18歳未満の子どもに意見表明権、集会・結社の自由を認める。子どもは権利行使の主体である。日本は1994年に批准。 |
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